劣等遊民

千の旬に会うために。

最近ノートに書かない言い訳

 最近ノートに日記を書くのをさぼりっぱなしだ。もっとも学生時代のうちに日記っぽくなくなっていたから、単純にペンを持つ機会が減ったと言うべきだろうか。

 今回は、その言い訳を書いていく。

 

 まずは時間の関係から。大学生のころは暇だった。当時は当時で気忙しい感じもしたが、社会人となった僕が客観的に振り返ったら、当然今のほうが忙しい(僕だけの思い込みでないことを願う)。趣味といえるようなことは、だいたい大学生で始めた。その代表が自転車で放浪すること。西は姫路、東は岐阜まで自力で行った。もう3年も前のことだ。2日や3日ふらふらしても(母を除いて)誰にも咎められはしなかった。3つ前のエントリーで〈晴漕雨描〉宣言をしたが、天気が良ければ自転車で出かけていたし、そうでなければ屋内に籠り何かの記録をつけ続けていた。単純に取り組む時間が長かったので、書く量も比例していただけのことだ。

 

 続いて体力面に移ろう。今思えば、あの頃はよくノートに向かって文字を書き続けていたなあと感心する。僕は鉛筆の正しい持ち方を習得できず、ペンを持つときも我流で刻みつけるように書いている。そのせいかペンだこができるのも日常茶飯事だった。それでも僕はお構いなく書き続けていた。なまじ集中力もあったため、腰痛もさらに悪化させた。今ではノートを使う場面がかなり限定されている。家ではほとんど読書をするかiPhoneを操作していて、ノートの出番は仕事のメモや図書館で読んだ本の記録に使うぐらいだ。しばらくペンを握っていると疲れてしまう。体力が落ちてくると、運動以外のパフォーマンスも低下すると身を以て知った。

 

 最後にテクノロジーの発達。さっきiPhoneについて触れたが、そのディスプレイと向き合う時間が長くなっている。いまや携帯電話ではなく検索端末の扱いで、ちょっと気になることがあったら即情報を取り入れられる。写真撮影や加工も容易で、Facebookにアップしておけば備忘録になる。この便利さに取り憑かれて、アナログから距離を置くようになってしまった。スマートフォン依存症に当てはまるという自覚はある。読書は紙の本を好むが、保管場所に悩まされている。今後はKindleの導入も検討していく必要がありそうだ。書くことにしてもEvernoteやLifebearにメモしていって、考えがまとまってきたらブログにアップするという方法がある。

 

 以上3つの観点から、ノートに書かない言い訳をした。このブログを読んでいる人がいたとして、まったく興味がない話題だろう。