劣等遊民

千の旬に会うために。

しなびた心に何を注ごうか

 4年間ちゃっかり学んだ大学へ行く。「ちゃっかり」に特に意味はない。

 

 午前中はだらけていたので、午後からの出陣となった。桜はほとんど散りかけていたが、憩う人びとはそれぞれの楽しみを見つけて思い思いに過ごしている。芝生で大縄跳びをしたり、磨いた技で喝采を浴びたり、食事の屋台に並んだり。かくして春は浪費される。

 「ようこそ先輩」の声を受けて、慣れ親しんだ建物に入る。卒業しても何か月かに一度は来ていた。キャンパスは工事のおかげで様変わりしたが、大して変化のないここに来れば学生時代が蘇ってくる。なつかしい人たちがいて、ポジティブな化学反応もある。卒業してから「この大学に来てよかった」と感じる機会が増えた気がする。故郷というわけではないが、僕の人格を形成した場所。自分をいう存在を見出し、方向付けに明け暮れた場所。恵まれていたとも思うし、ここでしかできないこともたくさんあった。

 

 旧友や後輩に加え、遥かなる先輩にも会う。縦の繋がりは現代社会でやや希薄になったからこそ、その大切さがわかってくる。異なる時代にある空気感を共有し、個々にはかなりの違いがあっても貫くような筋をもっている。そういうものに僕は惹かれる。

 くだらないことで笑い合えるのは何かを共有しているから。言語化するのは簡単ではなく、どうやっても陳腐でチープな表現になる。しかしそれこそが、僕の人生の軸となるべきコンセプトだと、やわらかく確信している。

 

 夜は別の予定が入り、久しぶりに素面のままでタクシー乗車。運転手にからかわれたり褒められたりした。降りた先には住宅ばかりで、飲み屋の場所がよくわからない。LINEと周りの景色を頼りに、あるやきとり屋を突き止めた。

 そこでも僕は話したり人の話を聴いたりしながら、あやふやな自己理解を修正したり繋がりのかけがえなさを噛みしめたりした。受け身だからこそできることもある。しかし時には自分から、前へ出る意志も示してみたい。それで秩序が崩れたとしても、自分の下した決断だから臆することなく歩もうと思う。

 その日はアルコールだけでなく、別の何かを心に注いだ。それを蒸発させないように、僕の世界を潤していこう。