劣等遊民

千の旬に会うために。

灰色の空と漆黒の雨

 大気が湿り、のっぺりと灰色をした空が僕を見る。自意識過剰な面をした僕は靴をアスファルトに擦らせる。あらゆることが閉塞している。生きていることを証明するのは造作もないが、張り合いもない。

 今ここで呼吸を続け、地を這う自分。土を憎み土を愛す僕。言葉にするたび大切なものをどこかに落とし臍を嚙んでいる。その繰り返しで表情は曇り、誰も寄りつかぬ人相ができる。不平にもならぬ戯言、聞くに堪えない妄言ばかりを垂れ流すならば、この世で生きる意味も見失う。

 意識ばかりが拡散を続け、どこか遠くへ行こうと誘う。それさえも実は妄言であり、酒が入ったらさらにひどくなる。ほこりをいただく魂だけが伊勢や淡路へ行こうなどとと騒ぎ立てるが、実体は何も起こらない。

 テレビはいつも喧しく、自立的な思考を奪う。バラエティ番組は無秩序か妙にもっともらしくあるかで、コマーシャルからは中毒性しか抽出できない。

 今日のこの空は僕の心象風景か。何事もうまくはいかず悶々と終える毎日。決定的な破綻もなければ、心が晴れる出来事もない。何か成すには動かねばならぬ。それでも受け身の姿勢を守る。

 

 空に変化が訪れた。重みと味気無さに耐えられず、溜まったものを吐き出すような雨だった。僕の髪も僅かに濡らして、雨は街を黒く染めてゆく。窓を閉めても途切れることなく、白い糸を繰り出すように雨は降り続く。闇の世界を光が貫き、変化をもたらそうとしている。軽い運動を終えた僕は、どうにかこらえて家へ帰る。

 雨とはやさしさであった。土を潤し草木を育み、獣も鳥も人をも救う。時に過剰な力が働き大洪水に見舞われることがあるとしても、地から湧き出し天より降り注ぐ雨こそが命を繋ぐ。肌で理解する必要がある。

 

 乾ききった土である僕こそ、沢山の水を求めている。

 

 明日は山へ行く。父が生まれ育った土地だ。先人たちの息遣いも、少しずつなら聞こえるようになってきた。その声は激しい雨にかき消されそうになるかもしれない。それでも僕は感知して、忘れずにいよう。歴史に思いを馳せることは、未来のビジョンを視ることでもある。何かをつかみ取るために、センサーを張り巡らせよう。