劣等遊民

千の旬に会うために。

野蛮な紳士、支離滅裂に斬捨御免。

 酒を浴びるように飲んだとき、不覚に陥ることがある。今になってだいぶ減ったが、学生時代はひどいものだった。ある時、朝一で飲んだ勢いで授業を受けた。その日の喋りは自分でも驚くほどに滑らかで、教授からも「君に限っては、毎回酒を飲んで来たほうがいいんじゃない?」と言われてしまった。悪くないアイデアだった。
 僕の脳みそはカチカチに固まっていて、良いアイデアがなかなか出せない。僕の出力が低ければ、そのぶん外部からの入力を刺激的なものにしたい。
「飲んだら寝る」では話にならない。酩酊状態に抗ったりあるいは利用したりして、アイデアの塊を削る。表現を研ぐ。ネガティブからポジティブまでを一気呵成に走り抜けたい。
 どこかの誰かは薬物摂取でトランス状態に入り、創作の着想を得ていた。このやり方は多少なりとも日常生活を犠牲にし、禁断症状にも悩まされる諸刃の剣だ。

「酒は百薬の長」といわれるが、捉え方の問題である。一定の量を突破して深酒すると短期的にも長期的にも後悔を生む結果が出やすい。
 それでも余計に飲んでしまうのは、しばしの酩酊状態によってストレスから離れられると期待するから。しかし嫌なことを忘れんがために酒を飲むと、かえって記憶が固着してしまいストレスに支配されやすいという。飲むのは楽しい酒に限る。人がするなら多少付き合うが、自分はヤケ酒しないでおこう。
 今日も懲りずにビールを飲もうと考えている。週末の夜だけに許されたハッピータイム。ハッピーと感じられるのは健康だから。そしてたまにしか飲まなくなると、ビールの泡やキレ、のどごしの微細な違いが前よりもよくわかる気がする。「気がする」ことが大切だ。幸福なんて主観的だし、僕にとっての幸福のうちに「ビールを味わって飲むこと」が入っているから。

 僕は野蛮な紳士になりたい。眼をギラつかせて微笑む感じだ。頭も体もキレているのに、どこか落ち着いた佇まい。僕はそういうものになりたい。
 そこへ行くには、圧倒的に何も足りない。どこから手をつけてみようか。悩ましくもあり、愉快でもある。まずは思考の試行を増やそう。話はそれから。