劣等遊民

千の旬に会うために。

ものいわぬ俺

 記事の日付を捏造していた。実にせこい所業である。

 なんということはない。手帳に思いついたタイトルをなんとなく書き、日付が変わる前に書こうと思っていながら、酒の誘いや疲労なんかを言い訳にして飛ばしてしまう。自分に都合が悪いことならとことん避けたい。それが僕の基本スタンスだ。

 

 書くならそういうことができる。字を間違えたり言いたいことがこんがらがったり、そういうところを修正できる。後で読んでみて内容面で問題があっても、まるまる消してしまうことができる。

 話しているとそうはいかない。口から出たら引っ込められない。失言は(影響力があるなら)あっという間に拡散され、ネットが発達した現代では「人の噂も七十五日」などとは言えず、半永久的に痕跡が残ってしまう。自分自身が目を逸らしても、人は簡単に忘れはしない。きっちり誠意を示さなければ見知らぬ他者の反感を買い、ありえないような窮地に陥ることだってある。生身の言葉は捏造できない。

 そういうことを考えた結果、「ものいわぬ俺」が発現した。都合が悪くなったら黙る。相手にひたすら喋らせておいて、自分はだんまりを貫く。ディスコミュニケーションここに極まれり。

 長い目で見てメリットはない。これを採用している僕は、その場しのぎの嘘も厭わない。やりすごせればそれでいいから。

 

 もしこの文にクレームが来ても、「ものいわぬ俺」は動じないだろう。仏頂面で睨むだけだ。