劣等遊民

千の旬に会うために。

再開の再開

9月に〈活動再開〉宣言しておきながら、
またしても更新が滞った。

己の不徳の致すところなり。


今回、8ヶ月ぶりの投稿となったわけだが、
生活面で目に見える変化は生じていない。
(これから大きな変化がやってくるのかもしれない)

そのため、おっかなびっくりながらも
書くことで、気持ちを整理したい。

 前回の投稿から3ヶ月も空いた。いやいやそれより26歳になってしまった。

 時の流れはますます早く、生の儚さがちりちり過ぎり、死の予感がふつふつ滾る。
 不安は募る。小さなころに思い描いて巻物にしたためたとおりならば、1年以内に死ぬこととなる。まだまだ何も遂げていない。そもそも成し遂げる気などなくても時間は惜しい。

 この数年は心身ともに変調が多く、思わぬことに足が竦むばかり。外に目を向ける余裕など無く、自意識とばかり闘っていた。膨らみ割れる風船のように過剰でありかつ欠落していた。芯の弱さをブチまけた。どこまでも情けない姿である。

 言い訳じみたことはやめにしたい。人目ばかりを気にしたくはない。目先のことばかりに囚われず、先々を活かす道を行こう。

 

 ひとまずの方針(キーワード)を掲げておく。

  ①運動することを厭わない
  ②共感・共鳴・共振を意識
  ③失われる何かを記録する

 おそるおそる一歩を刻みながら。

仙源

僕は自分を偉大な者の生まれ変わりだと思っていた。

誰かというと、尾崎豊中上健次の2人である。

 

 

尾崎豊の命日は、1992年4月25日。享年26。

中上健次の命日は、1992年8月12日。享年46。

 

いずれも僕が生まれる約1年前に死んだ。

どちらも迸る才能を滾らせながら、その果てを見ることは能わず。

僕など何の才も無いけれど、ただただ彼らに憧れている。

「生まれ変わり」などと思い上がり甚だしく、そのくせ何を遂げるわけでもない。矮小市民だ。

 

彼らの鋭い言語感覚と批評精神、重厚で繊細な世界観。

それに代わるものを突き詰めたい。

Here Comes the Spring.

久方ぶりの投稿である。

 

暑さの盛りなどとうの昔。秋冬は巡り春が来た。もう次の夏が迫っている。

 

 

社会人となり3年経つ。僕は密やかに変化を続ける。

たとえばシャツは、わりあいちゃんとしたものを着ている。

くたびれたものは買い替えて、ちゃんとローテーションしているし。

 

ほかにも野菜をたくさん食べるようになったとか、

好きな酒がウイスキーハイボールになったとか、

自転車に乗る目的が遠出から買い物になったとか、

 

こういった何気ない変化は、いつということもなく起こっている。

季節が巡るのと同じように、さりげないから気がつきにくい。

自分のことでもそうだから、人のことならばなおさらだ。

 

 

観察力と洞察力とを磨き、研ぎ澄ましたいと思った。

悪癖を正し、眼が濁らぬよう活力を維持したいと願う。

人の助けも借りながら、良い循環を生み出したいと誓う。

 

今回はそうした宣言だ。

泥磨き

僕の原点は何だろうか。使命があるのだとすれば、それはどんなことか。


その手がかりは、やはり言葉にまつわることだ。


言葉に出すということは、世界を分節することである。

なんとなく認識しているつもりであっても、自分の言葉で表せなければ理解が及んでいるとはいえない。

言葉を獲得することで、世界をよりクリアに切り取ることができ、ただ複雑な事象に意味付けすることができる。

言葉を紡ぐことは編集だ。情報をどの順番で出すか、聞き手や読み手をいかに動かすか、頭を使って考えることで届く形を模索する。その繊細さを要求される。


しかし僕が使う言葉は正確ではなく、いつも言い足りないか言い過ぎている。情緒垂れ流しの時もあれば、冷めきったスープにもなってしまう。これは言葉に寄りかかりながら、その効力を活かせていないことに起因する。言葉に依存しているくせに語彙や言い回しをなぞるだけで、本質的なところにまったく迫れていない。それは覚悟の無さともいえる。


僕が言葉にすることで、個人や社会に打撃を与える覚悟はあるか。それだけの影響力をもてるのか。そんな大げさな空想だけは腹にいだいている。着地させる策がなければ、空想は空想のままなのだ。僕は具体の作業をするのが苦手だから、意識の有る無しにかかわらず避けてしまう。


模索を怠った結果、適切でない言葉が生まれる。

言葉を何に向けて使うか。そこがブレると、どんな表現も上滑りする。僕は考え無しに言葉を使ってしまい、よく失敗する。不用意に人を傷つけてしまうこともある。


それでも僕が懲りもせず言葉にこだわるのは、それを通じて達成したいことがあるからだ。そのイメージやビジョンが最近、おぼろげながら漂っている。それを引き寄せ掴み取るために、暫定的だが言葉にしよう。

 

 

僕は、泥をすくい上げる者でありたい。

自分に持ち場があるとするなら、誰もが視線を向けなかったり、気が付いていても敢えて踏み込まずにいたりする領域のことを取り上げたい。僕が率先して飛び込むのだ。


泥とは何か。毒にも宝にもなる原液だ。

心の闇、眠れる才能、それらはきっと表裏一体で見分けがつかない。無自覚なまま一生を終えられる人は幸せといえるのかもしれない。しかしひとたび泥に気が付くと、二度と離れることはできない。忘れたふりをしていても、ふとした瞬間に思い出す。それは鈍い痛みを


僕はずいぶん囚われている。自分のルーツ、社会での位置、果たすべき使命。

小さすぎる鍋で煮詰めても吹きこぼれてしまうような問いがいくつもある。

性急に求めても、腑に落ちるような答えが得られるとは限らない。むしろ自分の理解力も表現力も足りていないから、瑣末なことに囚われすぎて必要なものを見落としてしまうかもしれない。


経験する出来事を咀嚼し、人間として成熟すること。その蓄積に応じて答えが見えてくる

さらには問いも洗練されていくだろう。質の良い問いが人生を動かす。

 

 

奥底に溜まる泥を見逃すな。問うて言葉を磨き続けよ。

母の半生

 今日は母の誕生日。

 ふだん母の人生に対して思いを馳せることがないため、いま感じることを記しておく。


 母は5人きょうだいの長女で、祖父母にとって最初の子どもとして生まれた。母が語るところによれば祖父母も曾祖父母も厳格で、めったに遊ぶことはなかった。とくに幼い弟妹を育ててきた経験が、彼女の芯を強固にした。エピソードとして僕が聞いたのは、弟をいじめた男子を一喝したこと、赤ん坊の妹を背負い皆の衣服を繕ったこと、などである。この経験が、彼女に早くから「自立」志向をもたせた。

 母にはロールモデルがなかった。家事に対しては(僕の)祖母から丹念に仕込まれたと聞いているが、こと人格形成において頼るものはなく、「自分でなんとかしなければ」との責任感ゆえ判断力や行動力を身につけたのだと推察される。


 現在の母は人付き合いをあまり好まないように見える。一方で面倒見が良く世話好きという一面もある。それはたとえば職場で人間関係に躓いた同僚へのフォロー、旅行時の宿の手配や行動計画の緻密さなどにも表れている。母にとって人と繋がる方法は、「世話を焼く」の一言に尽きる。

 

 そんな母が父と出会った。その顛末は面白いのだがうまく書けない。母が父に何を見出し、家庭を築くに至ったのかは想像の範囲でしかない。彼女は多くを語らないからだ。しかし姉が、実家の2階の押入れから幾重にもなる手紙の束を発見した。母から父に宛てたものだ。そのころ2人は事情があってしばらく離れて暮らしていた。手紙に記された概要は「早く会いたい」の1点である。そこに母なりに情感込めて言葉を紡ぎ、思いの丈を綴っていたのだ。それを受け止めた父がこっそり、1枚残らず貯めこんでいた。

 書く母がいれば、残す父がいる。この時期が夫婦として歩むうえでの基盤となったのだろうと思う。


 彼らが婚姻届を出したその日は、南河内郡狭山町が「大阪狭山市」へと名を変えた日でもあった。


 それから1年と少し経ち、兄が生まれた。くりんとした目で幼少期から人懐っこく、誰からも愛される存在。フォトアルバムが十数冊ある。父が今より健康であり、登山やレジャーによく出かけていた時期でもあった。母は習い事をさせたがり、兄はサッカーにのめり込んだ。中学のころに膝を痛め、高校以降プレー機会はほとんどないが、少年サッカーの指導者として多くを学び、後にカリスマ塾講師としてローカルなスターとなった。彼のまわりにはいつも人がいる。天性の吸引力は父に通ずるものがある。

 一方で、極端な美意識や正義感は母から受け継いだものだ。意外と人の好き嫌いなどもはっきりしている。人をもてなすときはとことんやるタイプなので年少者にも慕われている。

 兄の本棚は僕と違ってすっきりしている。そこにあるのは漫画の単行本数種類と自己啓発書、日課にしている英単語帳。小説ならばミステリーが好きなところも母譲りである。


 兄より2年弱の後、この世に生を享けたのが姉だ。待望の女の子だったのかは定かでないが、父と姉の仲は良好で、ほどよい距離感を保っている。一方母と姉はといえば、気質がだんだん似通ってきた。本人同士は否定したがるが、揺るがしがたい事実である。気が利く反面、手厳しいとも表現できる。姉はたぶん、父のような人と結婚したほうがよい。だいたいのことは器用にこなせるタイプなだけに、趣味やこだわりが違いすぎても一致しすぎても大変だろう。しかし友人や仲間としては、これ以上なく信頼のおける一人である。不言実行、黙々と目標に向かって邁進する。自分から広く発信こそしないが、さりげな気遣いで周囲をサポートする。控えめだがどっしりとした存在感。

 姉は有川浩の作品をよく読んでいた。気に入った本はハードカバーでも躊躇なく買う。最近はよく読みたい本が一致するので、定期的に貸し借りしながら感想を言い合っている。


 僕が生まれたのは姉よりも、さらに3年近く遅れてのことだった。

 僕が生まれてからの話は改めて書く。